2017年7月26日水曜日

浦河町戦没者追悼式にて

 浦河町戦没者追悼式が執り行われ、遺族や関係者・町民などが出席して戦後72年の冥福を祈り恒久平和への誓いを新たにしました。
 追悼式の意味を今の若い世代の方に再考していただくために、10年前の沖縄戦没者追悼式で朗読された、当時中学生の詩を、抜き書きですがご紹介します。
 「写真の中の少年」
 何を見つめているのだろう 何に震えているのだろう 写真の中の少年 周りの老人や女性、子供は 身を寄せ合って声を殺しうずくまっている 後ろでは逃げ出さぬようにと 鋭い眼光で見張るアメリカ兵 その中の少年はひとり一点を見つめている・・(中略)・・
 写真の中の少年は 僕の祖父  何を思っているのだろう どんな逆境の中でも最後まであきらめずに 頑張ってきた生き抜いてきた祖父 だから今の僕がいる いのちのリレーは 祖父から母へ 母から僕へとつながった あの時祖父が生きることをあきらめずに 必死に生きてきたから僕がいる だから 自分で自分の命を絶ったり 他人よって奪われたりということは いつの世でも いかなる場合でも 決してあってはならないことだ 僕がいる 必死で生き抜いてきた少年がいたから 僕がいる 僕はその少年から受け継いだ 命のリレーを絶やすことなく 僕なりに精一杯生きていこう また少年から聞いた あの忌まわしい戦争の話を 風化させることなく 語り継いでいこう

日勝峠復旧工事現場にて

 日高町日高の日勝峠の崩落からまもなく1年になろうとしています。復旧現場は秋の開通に向けて急ピッチで工事が進んでいます。
 近年、災害規模が大きくなっていくように感じられます。「観測史上初めての雨」とか、「過去に例を見ない規模」とかいう言葉がたびたび聞かれるようになっています。
 2013年からは「特別警報」が発表されるようになりました。それまでの「警報」の基準をはるかに上回るような気象状況で、重大災害発生の危険性が著しく高まっている場合に発表されます。
 日ごろから家庭内や職場において、避難経路、防災連絡先、非常食など十分な意思疎通が必要な時代です。「特別警報が発表されたら...」、みなさんはどうされますか。

2017年7月22日土曜日

新ひだか夏まつり

 いよいよ夏祭りのシーズン。ここ新ひだか町でも夏祭りが開幕しました。メインの阿波おどり のほか、ビヤガーデンには浴衣姿の家族連れも。子供たち の「ヤットサー」のかけ声や笛や太鼓に合わせ、本場さながらの「踊る阿呆に見る阿呆・・」で暑い夏の夜を楽しんでいました。
 最近は外国人観光客の増加で、法被を貸し出すなどして祭への参加を促している町もあると聞きます。評判が評判を呼んで、沿道商店の客の大半が外国人と化しているところもあるとか。日高圏域の祭りもいつかそうなっていくのでしょうか。ともかく、老若男女、みなが楽しめるのが祭、私もしっかり巻き込まれていました。

2017年7月18日火曜日

夏の風物詩

 暑い夏日が続き、日高路沿岸では、風物詩となっている昆布漁、天日干し、磯の香りが浜いっぱいに広がり、元気な笑い声があふれています。
 やっぱり、この時期、この風景が一番良い!これぞ故郷という感じがします。昨年は8月の台風で干場が壊され大変な被害を受けましたが今期は豊漁でありますよう、祈念しています。
 日本近海ではこの100年間で水温が1度上がったといわれます。水温が1度上がれば、昆布の成長は1年で20cm短くなるそうです青森県では、マコンブの群落が消えかかっている場所も出てきたとか。我々も地球温暖化に無関心ではいられません。行く先を注視しながら、地元の宝を大切に守っていきましょう。

2017年7月5日水曜日

みついし蓬莱山まつり

ひだか町三石の蓬莱山公園で第23回目の蓬莱山まつりが開催されました。恋が叶わず岩になった、新三石川を挟んだ雌蓬莱山と蓬莱山を130メートルのしめ縄で結んであげようという壮大なもの。ステージでは三石中学校の吹奏楽部や自衛隊の吹奏楽、また郷土のシベチャリ太鼓、平岸天神などのよさこいソーラン、歌謡ショーではクリス・ハートさんの出演もあり盛りだくさんの演出。地元の商工会や農協、商店 などが出店し、みついし牛のバーベキューも堪能でき、町民ぐるみで楽しんだ初夏の一日となりました。準備をしていただいた関係者のみなさま、お疲れさまでした。

浦河町向陽園の運動会

 第37回浦河町向陽園の運動会が開催されました。運動会日和の天気で、ボランティアの皆さんに協力を頂きながら、玉入れや障害物競争、綱引き、紅白リレー等に汗を流し、一日を満喫しました。
 ボランティア活動は社会生活の隙間を埋める潤滑油のような存在ですが、使命感のみで続けられるものではありません。自らも一緒に楽しむ「共生」活動とみることができます。
 元厚生労働事務次官で、郵便不正事件で冤罪と戦った村木厚子さんは、「拘置所の中で、人には支える側と支えられる側がいるとの考え方は間違いと気づきました。いつでも、しかもある日突然入れ替わるということ、自分は変わらなくても、助けられる立場になる。それが『共生』社会なのだと実感しました」と語っています。男と女、親と子、障がい者と健常者、日本人と外国人、...人は「共生」なしには生きられないもの。大いに地域と関わりましょう。