2015年8月24日月曜日

高波被害

  21日から発生した 高波により、新ひだか町春立地区の海岸護岸が一部決壊し(決壊延長約50メートル)、波浪による侵食被害の拡大に備え、地域住民に避難指示が出されました。22日から23日にかけては、応急対策として延長約100メートルに大型土のうが積まれ、矢板による侵食防止対策が行われました。21日から22日に発生した高波は、春立漁港の係留中の漁船へも不安を与えました。岸壁の荷揚げ場所のアスファルト部分も直撃を受けています。
  IPCC報告(気候変動に関する政府間パネル)では今世紀末の世界の平均海面水位は26~82センチの範囲で上昇する可能性が高いとか。財政の悪化から、これまでの「公助」には多くを望めず、「自助」と「共助(NPO等)」による対策が重要といわれ、防災対策を「コスト(出費)からバリュー(価値)へ」との意識改革が言われだしました。
  近年は特に高波の発生件数が多くなってきていることから、財源不足の「できない理由」を言うだけではなく、「どうすればできるのか」、安全点検等のマニュアルに不足はないかなど、防災の有り様を、「地元住民を含む関係者」で十分検討していくべき時代といえるでしょう。

2015年8月21日金曜日

戦没者慰霊祭

  戦後70年が経過した今もなお、深い悲しみは心に迫ってきます。浦河町と新冠町で戦没者慰霊祭が行われ恒久の平和への誓いを新たにしました。遺族会の高齢化により新冠町では今年から、町の主催により開催されました。ちなみに浦河町では既に町の主催によって行われています。 
 戦後生まれも70代に突入し、今後10年で、戦争を直接体験した方たちがほとんどいない時代がやってきます。
 戦没者の冥福を祈りつつ、平和と命の尊さを歴史の教訓として語り継ぐ必要があります。慰霊祭そのものの意義を見失うことのないよう、若い現役世代にしっかり伝えていくべき時期が来ている、と考えています。

2015年8月18日火曜日

日高路の夏まつり

 8月14日えりも灯台まつりから、15・16日浦河町の港まつり、三石町の港まつり、平取町のふるさと祭り(義経神社例大祭)等々、日高路の夏まつりが各地で行われました。
 えりも町では、マツカワの稚魚約二千尾の放流や海上安全と大漁祈願等から始まり、歌謡ショーや花火大会には帰省客や観光客等で約二万六千人が祭りを楽しみました。
 浦河町では町制施行百年の協賛行事もあって、14日の前夜祭の「もち」まきから16日の花火大会までのカラオケ選手権やウルトラクイズ、お化け屋敷や屋台、歌謡ショ-、盆踊り等々、天候にも恵まれ、大勢の町民や観光客で賑わいました。
 「祭」という漢字は、「切った肉」(月)と、右手(又)と、「神に捧げる台」(示)からなる象形文字が元字だそうですが、今流に言えば、「天の恵みを感謝する」ということになりましょう。
 楽しい中にも、自然の恵みのおかげで我々の暮らしが成り立っていることに、天(神)への感謝の心も忘れないようにしたいものですね。もちろん、実行委員会の方々への感謝もです!

2015年8月4日火曜日

第45回アポイの火まつり

 山頂に火を焚き、豊猟を祈ったという言い伝えをモチーフにしたアポイの火まつりも第45回目を迎えました。恒例の ねぶたパレードや花火大会、歌謡ショ-等で、8月1、2日の二日間を多くの町民が楽しみました。
 人は<ココニシカナイ>という枕詞がつくと、何かしら優越感を持った気になるものです。アポイ岳にも、ここしかいないカタツムリ「アポイマイマイ」や、ここにしかいない蝶「ヒメチャマダラセセリ」がいます。
 地球深くに眠るかんらん岩が新鮮なまま地表近くで見られたり、固有種の高山植物が20種近くある、世界的にもまれな地域とも言われ、2008年には「日本ジオパーク」に認定されました。
 様似町の宝として周辺の関心がさらに高まり、祭りを呼び水に、北海道の宝、日本の宝として、さらに多くの人にまちを訪れてほしいものです。